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 A.仕事の中でよく出くわす言葉に、「できる」「できない」があります。障害のあるお子さんの場合でも、このことがいつもついて回る。これが、学校へ行くとなるとまたそれが加速されます。

「できる」、「できない」という言葉をめぐって、MOVEのMLに投稿した文章を導入としていろいろ考えてみます。

私たちがもっている、「学力」とか「勉強」とか「能力」とかいう思い込みを一度「チャラ」にして、障害児教育とか普通学級の教育とか区別しないで、考え直そうということです。学力とは何でしょうか?能力とは何でしょうか?

私は、その客観的な「実体」はないと考えています。能力とは人と人との関係のなかに存在します。ある人にとって感謝されたり、啓発されたり、感動したりすることが「能力」や「学力」と考えています。それをあたかも「点数」によって計測できたりすると思うのは、私たちの社会がもっている「罠」だと思います。

別の研究会でもある人と論争になったことがあります。その人は、自閉やADHDや知的障害のある子どもにもなんとか小数や分数の意味ぐらいは理解してもらわないといけないと発言しました。私はそれに対して、「健常といわれる子どもでも、自分の私塾の経験から、分数の意味がどうしても理解できないお子さんがいた。それでも消費税の買い物は電卓もあるし、計算はバーコードつきの読み取り機があるから不自由しないではないか?それよりも分数ができないことに劣等感をもつより、どんどん街に世間に出て、わからないことは人に聞き、助けてもらい生活を充実すべきではないか、車椅子の身体障害の人に「あなたは車椅子を使っているから歩行の本質を理解していない」なんていわないでしょう。まずは行きたいところに移動できれば良いのですから。それに、われわれも大人になって通分なんて使わないし、なんで分数の割り算を分母と分子ひっくりかえしてかけるのか解らないでしょう?」と切り替えして議論が平行線をたどったことがあります。これは、今の教育では、特別支援教育かインクルージョンかという問題軸になるかもしれません。

小児科医の山田真さんは、こう言われています。「一般に知的障害の子どもと健常な子どもの学力の差は年齢があがるにつれて大きくなる、そのうちに何倍の時間をかけても健常な子どもに追いつけなくなる、そうなると追いつこうとしてがんばって、追いつけなくなったとき親もつらいでしょうが、そこまでがんばった子どもはもっとつらくなる」(「おそい・はやい・ひくい・たかい」17号、ジャパンマシニスト社 p66)というのです。そうだと思います。これは普通学級の中にもある問題ですから。

学校の役割とはなんでしょう。学力をつけることが学校の役割でしょうか。本当はそうではないと私は考えています。学校とはどのような人でも、相互扶助と信頼に基づいた市民の一員となるようなことを自覚する「特別な場所」だと考えています。それがいつの間にか、産業社会に適応させる「学力主義」「能力主義」の養成所になっています。そのことを気づかせ反省するために「インクルージョン」という考えは生まれてきたのだと思います。インクルージョンの教育の中に特殊教育といわれるものも包摂されるものと考えます。

ここで、MOVEの基本理念にかえってみましょう。MOVEでは運動技能は「日常生活に役立つ」ということを基準にその獲得が考えられていますね。学力だって、そう考えれば、日常生活を元気に、ハッピーにすごすために学力があると考えれば、元気をなくす「学力」なんてナンボノモンジャと開き直るのも手ではないかと考えるのです。

学力だけが人生じゃない、自分のペースでゆっくり、スローに、学力なんていうチンケなもの以外の人生にとって獲得することを広げていこう」というのが私の基本のスタンスです。

03/08/21(Thu)

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